青森旅行('02.7.13〜7.14)B




7.昭和大仏
 9:45定刻通り、観光バスは駅前を出発。50人ほど乗れるバスだが、乗客は15人ほど。ねぶたもなく、秋の行楽シーズンでもないので
やはり観光客は少な目のようだ。青森弁(津軽弁?)を織り交ぜつつ話すガイドさんの話を聞きながら、最初の目的地である、
昭和大仏の青龍寺に到着。本堂に通されると、住職の話が始まった。先代の住職が、先の大戦の戦没者の霊を弔うため檀家も何もないところから
托鉢等で財を集めてこの寺を作った等の苦労話をしてくれる。その苦労を否定するつもりはないが、寺のつくりから住職の話の最後に
お札やお守りの宣伝があるところなど、どこか商業じみている印象を持ったのは私だけだろうか?大仏の中に入れるなど面白い経験もできるが、
どうしても厳かでありがたい気持ちにはなれなかった。


青龍寺、住職の法話?、昭和大仏、五重塔



8.ねぶたの里
 続いては「ねぶたの里」。ねぶた祭は8月頭に行われるが、ねぶたの里には過去に賞を取った作品を中心に数多くのねぶたが展示されていて、
年中見学することができる。また、実際にねぶたを引くイベントもあるそうだ。
「ねぶた」の由来は諸説あるが、夏の暑い時期、ねむたくなる季節にやることから「ねむた」からなまったものというのが有力だそうだ。
ねぶたは青森市だけでなく各地にあるそうで、有名なものでは弘前の「ねぷた」がある。(「ぶbu」と「ぷpu」の違いに注意されたい)
青森ねぶたが人の形をそのまま再現しているのに対し、弘前ねぷたは扇型の張子に絵を書き込むという違いがある。
しかし何より青森ねぶたの大きさには圧倒されるばかりであった。このねぶた、製作には1千万円ほどかかるらしい。
「義経と弁慶」や、「孔明と南蛮王」など、歴史上の人物で慣れ親しんだテーマのねぶたを見物し、これも青森が有名なホタテの入ったラーメンで
昼食を済ませ、ねぶたの里を後にした。


ねぶたの里、扇状の弘前ねぷた、展示場内の様子、ねぶた!


ねぶた!、ほたて入りラーメン



9.三内丸山遺跡
 続いて最後の目的地、三内丸山遺跡へ移動。ここでかなり雨足が強くなってきた。屋外展示の遺跡を見るには最悪の天候である。
(事実、案内のボランティアの方によると、見学のキャンセルが相次いだそうだ)
傘を借り、ボランティアの方の誘導に従って遺跡を見学する。ここは以前より遺跡があることは知られていたが、一通りの発掘を終え、
公営の野球場建設が進められていた。ところが建設中に大きな柱の跡が見つかり、再調査の結果大規模な集落の跡地であったことが判明。
途中まで進んでいた野球場建設を中止し、遺跡公園として残されることになったそうだ。
 残された遺跡群は数多く、埋葬の様子や大きな建物などが再現されている。以前、吉野ヶ里遺跡を見に行ったことがあるが、
三層式の物見台?等、共通点があるように思われた。土地は遠く離れていても、人類の発達のスピードは同じだったということだろうか?
豪雨のため一部入れない建物もあり、通常よりぐっと見学コースを短縮して見学を終えた。

 最後は八甲田丸見学だが、雨がやむ気配がないことも手伝ってかキャンセルして駅前で降りる人も多く、私もそれにまぎれて
青森駅前でバスを下車。ツアーを終えた。


遺跡残置のきっかけとなった柱の穴、遺跡保存用ドーム、子供の埋葬、高床式倉庫


ひときわ大きな建物、建物の内部、物見台?お世話になったバス