沖縄・北海道旅行記('02.4.28〜5.2) B
10.平和祈念公園
海中展望塔を出た時点で、那覇市内に戻るころには夕方になりそうだったので、一気にハイウェイを南下。那覇を通り越して
昨日行きそびれた平和祈念公園に行くことにした。この公園はひめゆりの塔と同じく本当の南端近くにある。
途中、国道をそれてさとうきび畑の間を通り抜けて南端を目指す。沖縄には背骨になる国道と高速道路はあるものの、
ちょっと外れるとこうしたのどかな風景が広がっているのが特徴だと思う。
平和祈念(×記念)公園は、何かのたびにテレビ等に登場する、沖縄戦の戦没者全員の名前を刻んだ石碑が安置された公園である。
夕方という時間帯もあってか、石碑の間に足を踏み入れるとやはり何か物寂しい、重苦しい空気を感じる。
石碑の名前は、見やすいように出身地順に記されているが、23000人を超えるその数にはやはり圧倒される。
意外だったのは、沖縄意外の他府県出身者がかなり多いということだ。その数は全戦没者の3割近くになる。
本土決戦前の最後の砦として当時の軍部がそれだけ沖縄の防衛線を重要視し、多くの人的資源を全国からつぎ込んだということだろう。
ところどころ石碑の前に花束が置かれており、大切な人を失った遺族もまだ絶えることなく訪れている跡が見られた。
しばし57年前の歴史の重みに思いを馳せ、平和祈念公園を後にした。
(この時点ではこの地が今回の旅で最も戦争の痛みを感じさせる場と思った。翌日の観光でそれは覆されたが・・・)
那覇市内に戻るころにはすっかり日も暮れ、レンタカーを返した後は国際通りで夕食。これまた沖縄名物?と言われるステーキを食べ、
2日目を終えた。
さとうきび畑、平和祈念公園、手向けらた花束
11.首里城 その2
3日目、実質沖縄最終日は、S氏と別れてそれぞれ自由に回ることにした。私より2日も長く沖縄に滞在していたS氏は観光地も行き尽くし、
この日は国際通りをぶらつくことにし、私は見ておきたかった旧海軍指令部壕を訪ねることにした。
昨日と同じく、ホテル裏手の中華食堂で精進中華の朝食を済ませる。今日もおばちゃんは元気だった。ご近所さんも何組か来ていて
会話がはずんでいたが、中国語なのでさっぱり理解できなかった。
朝食後は歩いて国際通りを抜け、バスターミナルへ。今日はレンタカーをやめバスで移動してみることにした。公共交通機関が不便なことと、
何分慌しい旅でもあるので仕方なくレンタカーを使っているが、もともとはローカル線やバスの方が好きなので楽しみである。
しかしこの不慣れな地、そして不便・不親切極まりない那覇のバスを使ったことが大きな裏目に出てしまうことになる。
停留所を確認し、バスの行き先表示も見てこの路線に違いなしと判断して乗ったバスが、なんと逆方向に行ってしまったのだ!
南へ向かうはずのバスが北に向かうのでしばらくは遠回りかな?と思っていたが、明らかに方向が違うと気付くころには
何と那覇市の北、首里城まで来てしまったのだ! 今更じたばたしても仕方ないのでとりあえず首里城前で下車。
昨日休館日で行けなかった博物館もあるので、逆方向のバスの時刻を確認してから博物館へ。ところが運の悪いことに今日も休館日!
このGW真っ只中の平日に休んで一体いつ開館しているのだろう?と思ってしまった。
結局、何もすることがなくなってしまったので、首里城の中で昨日行かなかったいくつかの建造物を見て回ってお茶を濁すことにした。
唯一の救い?は、首里城をバックに鯉のぼりが池の上を泳ぐというなかなか面白い絵を見ることができたということくらいだろうか?
国際通り、再び首里城・・・
12.旧海軍司令部壕
今度は間違うことなく(というか、間違えようがない)南行きのバスに乗り込み、旧海軍指令部壕を目指す。
それでもまた違うバス停で降りてしまったようだが、そこはご愛嬌ということでのんびり歩いて高台の入り口へ登っていくことにした。
抜けるような青空のもと、高台に登って振り返るとふもとの家並の向こうに青い海が見える。年中気温が高いせいだろうが、家々の壁がほとんど
白一色だったのが印象的だった。
司令部壕の入り口に着いたが、さらに上に展望台らしきものがあったのでそこまで上ってみる。炎天下ではあるが蒸し暑さが少ないせいか
木陰に入ればかなり暑さを凌げる。展望台の裏には戦没者慰霊の塔が青空を刺し、塔の前では地元の僧侶だろうか、経をあげる姿が見られた。
そして旧海軍司令部壕。那覇の空港に降り立った瞬間から「沖縄」という地が戦争の傷跡を負っているということを感じながら過ごしてきたが、
この史跡は最も強烈だった。内部に入ると、凄惨な戦争の様子を思い起こさせるに十分すぎるほど圧迫感と重苦しさに満ち満ちている。
狭さのため兵士が立ったまま(!)休息を取ったという空間や、傷を癒した医務室、大田実少将が自決した部屋等々・・・。
臭気もなく、空調もよく効いて観覧そのものは容易なことだが、とても長居できるような空間ではなく、一回りしてすぐに切り上げた。
悲惨な沖縄戦の最後の舞台となったこの司令部壕、今につながる沖縄の「重さ」を強烈に印象付けられた。
しかしこんな史跡でも、往時のままの壁がところどころ残されていたにもかかわらず、心無い人間の落書きのために塗り直さねばならない、
という話を聞くと、腹が立つやら情けないやらとてもやるせない気がした。
(内部はとても写真を撮る気にはなれなかったので、興味のある方は実際に足を運ばれることを強くお勧めしたい)
抜けるような青空・家々・海、旧海軍司令部壕
13.沖縄グルメ C
指令壕あたりはバスが不便でそこからどこか別のところへは行けなさそうだったので、市内へ戻ることにした。ちょうど昼食時だったので
国際通りにある沖縄そばの店で「本ソーキそば」を食べることにした。「沖縄そば」と何が違うのか、確かめてみたかったのだ。
出てきた本ソーキそばは、沖縄そばがただの豚バラ煮込みが乗っていたのに対し、大きな骨付き肉がいくつもおごられていた。
これが「ソーキ」ということらしいが、さすが骨付き肉、よく味が染み込んでとてもおいしかった。
昼食ともなればそばにいろいろつけて定食と行きたいところだが、あえてそれはしなかった。実は宿の近くにとても気になる
ハンバーガーショップ店があって、そのためにお腹を残しておいたのだ。そばに満たされたのち、しばらく国際通りをぶらぶらしてから
いざ宿の近くのその店へ。そこで気になっていた「ゴーヤバーガー」と「ゴーヤリングフライ」を注文。そう、沖縄名物ゴーヤを使った
ハンバーガーとポテトフライならぬゴーヤフライである。さすがにゴーヤリングそのままでは苦味が強かったが、ゴーヤバーガーは
ゴーヤが卵でくるまれ、マヨネーズ味で意外と食べられた。決して極上美味!とは言えないが、話の種にはなる味だった。
本ソーキそば、ゴーヤバーガー & ゴーヤリングフライ
14.散策 & 沖縄グルメD
そば&バーガーでお腹もいっぱいになり、連日の疲れも手伝ってか少し休みたくなったので、一度宿に戻ることにした。フロントで鍵を借り、
部屋に戻ってしばし昼寝。旅の途中でこういう時間が持てるのもなんとも贅沢な話だと思う。しばらく休んでそろそろ夕方近くになってきたので、
再び散策に出ることにした。宿の裏は「壺屋やむちん通り」という通りの名が示す通り、焼き物が盛んな地域だ。沖縄のシンボル「シーサー」から
日常使いの器まで様々な焼き物が店先に並んでいる。そこで形の面白さに惹かれて、先の沖縄サミットでも記念品として配られたという
泡盛を注ぐための半月形の酒器を購入。半月の形がなんともユニークだ。
宿に酒器を置いて今度は国際通り方面へ。国際通りの向こうに、市民海岸があるということを思い出したので、日没を見に行こうと思い立って
バスに乗車。ところがここでまた詳しい場所が分からず右往左往してしまい、結局海岸に着いたときにはすっかり日が暮れてしまっていた。
無駄な時間を過ごしたと後悔しつつ、別行動していたS氏と夕食をとるために国際通りで合流。1日目の夕食時にも気になっていた郷土料理の店で
「てびち汁」の夕食。昼のそば&バーガーがこたえたのか、大きな豚足が2本もゴロッと入っているとさすがに完食とはいかなかず、
目一杯楽しんだところで沖縄最後の晩餐を終えた。本土にはない食材と組み合せで、沖縄料理は何をとっても興味深くしかも美味しく、
グルメの面では大満足だった。
こうして沖縄の日程を終了。翌朝は北海道へ向けて飛ぶばかりである。
お世話になった部屋、壺屋やむちん通り、てびち汁定食